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札幌高等裁判所 平成元年(う)85号 判決 1989年9月05日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中七〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人田中敏滋提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

第一刑事訴訟法三七八条三号の事由の主張について

論旨は、(一)本件の公訴事実が訴因として適法に特定、明示されていないにもかかわらず、右訴因につき有罪を認定した原判決は、刑事訴訟法二五六条三項に違反し、三七八条三号に該当する、(二)かりに、訴因の特定の点で問題がないとしても、原審段階において行われた訴因の変更は、公訴事実の同一性を害してなされたものであるから、原判決は同法三一二条一項に違反し、三七八条三号に該当する、と主張する。

そこで検討するに、

一  原審記録によれば、

1  昭和六三年一〇月二一日付けの本件起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六三年九月三〇日ころ、札幌市豊平区中の島二条一丁目五番豊中公園西側水飲み場付近において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する粉末約〇・〇一グラムを嚥下し、もって、覚せい剤を使用したものである。」というものであったが、原審第一回公判期日において、被告事件に対する陳述として、被告人は、起訴状記載の公訴事実を否認するとともに、「昭和六三年九月三〇日午前一一時三〇分ころ、肩書住居の九条橋ハイホームの前で前日他人から借りた車の中に置いてあったかばんの中の小銭入れを開けると注射器とビニール袋に入った白い粉があったので、覚せい剤かなとも思ったが、まさかそんなものではないだろうと思い、袋の中から一粒取り出してかじってみたことはある。」旨供述し、弁護人は、被告人と同旨の陳述をするとともに、被告人には覚せい剤であることの認識がなかったから故意を欠き、無罪であると述べたこと、

2  その後事実審理を重ねて原審第六回公判期日に至り、検察官は、起訴状記載の右旧訴因を、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六三年九月三〇日からさかのぼること数日の間、札幌市内又はその周辺地域において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に施用し、もって、覚せい剤を使用したものである。」との新訴因に変更請求し、弁護人はこれに対し、証拠調の最終段階においてこのように不特定の訴因に変更することには異議がある旨意見を述べたが、裁判所は右訴因の変更を許可し、被告人は、右変更後の公訴事実について、「私としては、いずれにしても思いあたることとすれば、車の中に置いてあったかばんの中の小銭入れに入っていた粉末をかじってみたことだけです。なお、昭和六三年九月三〇日からさかのぼること数日の間、札幌市内又はその周辺地域に居たことは認めます。」と述べ、弁護人は、被告人と同旨の陳述をしたこと、

3  そして原審は、第八回公判期日において被告人に対し有罪判決を言い渡したが、その認定する犯罪事実は、変更許可後の新訴因と同内容である(ただし、「自己の身体に施用し」とある部分が「自己の身体に入れ」となっている。)こと、

がそれぞれ認められる。

二  所論は、変更後の新訴因は、その記載に徴し、変更前の旧訴因をも内容的に包含しているばかりでなく、被告人が覚せい剤を体内に摂取したその余の事実のうち、「昭和六三年九月二八日の夜中、札幌市豊平区中の島豊中公園の水飲み場で覚せい剤をズボンのポケットから出してなめた」行為(被告人が原審公判廷で、捜査段階では取調官に対してそのように述べたと供述している行為)を表示するのか、あるいは、「昭和六三年九月三〇日午前一一時三〇分ころ、札幌市豊平区旭町の九条橋ハイホームの前で、前日他人から借りた車の中で見付けた白い粉をなめた」行為(被告人が原審公判廷で弁解する行為)を表示するのか区別できず、どの事実を審判の対象にしようとするのか、事実の特定を欠く違法があり、また、旧訴因と新訴因とは相互に両立する別個の事実であるから、両者は公訴事実の同一性を欠くと主張するのであるが、右所論は容れ難いと言わなければならない。以下その理由を説明する。

記録を調査するに、本件の発覚から公訴の提起、原審における審理、判決に至る経緯は、およそ次のとおりであると認められる。

1  被告人は、昭和六三年九月三〇日、肩書住居付近の路上で普通乗用自動車(盗難車である赤色マツダファミリア)を無免許運転していて道路交通法違反の現行犯人として警察官に逮捕され、札幌方面豊平警察署に引致されたが、右自動車の中にあったバッグの中の小銭入れ風小物入れから覚せい剤の白色結晶粉末一袋、注射筒一本、注射針二本が発見されたことなどから、覚せい剤取締法違反の嫌疑をうけ、同日中に警察官の求めに応じて尿を任意提出したところ、翌一〇月一日右尿の鑑定の結果、右尿中に覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの存在が確認された。

2  そこで、同警察署の警察官は、同日、裁判官の発付した「被疑者は、法定の除外事由がないのに、昭和六三年九月三〇日から、さかのぼること数日間に、札幌市内及びその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液(量目不詳)または粉末(量目不詳)を注射・えん下・塗布等の方法により自己の身体に施用し、もって、覚せい剤を使用した」旨の被疑事実についての逮捕状により、被告人を逮捕し、尿中の覚せい剤につき追及したところ、被告人は、「九月三〇日の夜札幌市豊平区の地下鉄中の島駅付近にある公園で持っていた覚せい剤の粉を水と一緒に飲み込んだ。」旨述べ(司法巡査に対する同年一〇月一日付供述調書)、一〇月四日に行われた裁判官の勾留質問の際も、覚せい剤使用の事実を争わず、「覚せい剤は、昭和六三年九月二七日夜、札幌市豊平区中の島所在の公園において、えん下して使用しました。」と述べ(勾留質問調書謄本)、司法警察員に対する同年一〇月五日付供述調書では、「無免許運転で逮捕された九月三〇日の午前二時ころ、地下鉄中の島駅近くの公園(豊平区中の島二条一丁目五番の豊中公園)で頭痛がしたので持っていた覚せい剤を公園の水飲み場の水で飲んだ。」旨述べ、さらに検察官に対して、「九月三〇日午前二時ころ右豊中公園の水飲み場で覚せい剤の粉末耳かき二杯くらい、約〇・〇一グラムくらいを水で飲んだ。」旨述べた(同年一〇月七日付供述調書)。

3  検察官は、被告人の尿の鑑定結果と以上のような自白に基づいて、一〇月二一日、変更前の旧訴因のとおり覚せい剤使用の事実を特定して、公訴を提起した。

4  ところが、先にみたとおり、被告人は、原審公判審理の冒頭で、覚せい剤使用の事実を否認するとともに、尿中に存在が確認された覚せい剤につき、一の1のとおり陳述して弁解し、さらに原審第二回、第四回、第六回各公判期日においても、「捜査段階で、警察官及び検察官に「九月三〇日午前二時ころ豊中公園の水飲み場で覚せい剤を水と一緒に飲んだ」旨供述したのは、出まかせの嘘であり、思い当たるのは、公判手続冒頭で述べたとおり、借りた車の中にあった白い粒を増量剤であるハイポだと思ってかじったことである。」旨供述した。

5  そこで、原審第六回公判期日において、検察官は、九月三〇日に被告人が排泄した尿の鑑定結果と同日からさかのぼる約二週間の被告人の行動範囲についての被告人の供述(原審第三回公判期日)を基に、前記のとおり訴因の変更を請求した(この訴因変更請求の措置は、被告人の尿の鑑定結果から覚せい剤使用の事実は疑いないと思われるが、被告人の供述の変転の経緯にかんがみると、被告人の捜査段階における自白は信用性が薄く、起訴時に訴因で特定した覚せい剤使用の日時、場所、分量、使用の方法は、もはや維持することができないが、さりとて、「借りた車にあった白い粉を覚せい剤とは知らずにかじった。」旨の公判廷における被告人の供述も信用し難い、との考えに立って行われたものと理解される。)。

6  原審は、検察官の右訴因の変更請求を許可したうえ、第七回公判期日に結審し、第八回公判期日において、被告人に対し、前記のとおり新訴因と同内容の罪となるべき事実を摘示した有罪判決を言渡した。

このような経緯にかんがみると、本件公訴事実は、昭和六三年九月三〇日に被告人が排泄した尿の鑑定の結果、被告人の尿中に存在することが確認された覚せい剤を、法定の除外事由がないのに、被告人が故意に体内に摂取し、もって使用したという事実であることが明らかであり、原審第六回公判期日で行われた訴因変更の前後を通じ、本件における審判の対象に変更はなく、新旧両訴因の公訴事実は同一であるということができる。

そして、公訴事実は、できる限り日時、場所及び方法をもって罪となるべき事実を特定することにより訴因を明示して記載すべきことは、刑事訴訟法二五六条三項の命ずるところであるが、犯罪の種類、性質、証拠等のいかんにより、罪となるべき事実の日時、場所及び方法の特定には自ずと制約があるのであって、右法条の法意に悖らない限りにおいて、ある程度の幅を持たせた特定の仕方も容認されるというべきである。このことは、起訴時における検察官手持ちの証拠を基に訴因を記載する場合はもちろんのこと、訴因として掲げた罪となるべき事実の日時、場所、方法等が、公判審理の進捗に伴い、証拠との関係上そのまま維持することが相当ではなくなったために、訴因を変更しようとする場合においても変わるところはない。

しかして、これまで検討したところから明らかなように、被告人の本件尿鑑定の結果から、昭和六三年九月三〇日の逮捕の時点からさかのぼる数日の間に、被告人が体内に覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを摂取して使用した事実が推定されるが、捜査段階以来の供述の変転に徴し、公判廷における供述を含め、覚せい剤の体内摂取に関する被告人の供述内容は信用性が薄いと認められ、他に事実関係の特定に供し得る証拠が見出せない本件の事情の下においては、検察官が、起訴状記載の訴因の覚せい剤使用の日時、場所、方法は証拠上維持することが困難になったと判断し、これを構成し直して訴因変更を請求した新訴因には、その記載に徴し、これらの特定に欠けるところはなく、許容できるというべきである。そして、右の新訴因についても、日時として特定された「昭和六三年九月三〇日からさかのぼること数日の間」に、一回でも、「使用」以外の事由にって被告人の体内に覚せい剤が入った事実を具体的に主張・反証して、被告人の尿中に存在した覚せい剤は被告人が故意に摂取したのではないかもしれないという程度の疑念を裁判所に抱かせることができれば、尿鑑定の結果から生じた覚せい剤使用の事実上の推定を崩すことができるのであるから、その日時、場所の特定に幅があるからといって、被告人の防禦に特段の支障をきたすおそれはないというべきである。したがって、論旨は容れることができない。

第二事実誤認の主張について

論旨は、被告人には覚せい剤使用の故意を欠くから、無罪であると主張する。

そこで検討するに、先にみたとおり、被告人は、昭和六三年九月三〇日、肩書住居付近の路上で盗難車である普通乗用自動車を無免許運転して警察官に道路交通法違反の現行犯人として逮捕され、同日排泄した尿中に覚せい剤の存在が確認されたのであるが、その際、右自動車の中にあったバッグの中の小銭入れ風小物入れから覚せい剤の白色結晶粉末一袋、注射筒一本、注射針二本が発見されているところ、前記のとおり、捜査段階では、同月三〇日午前二時ころ札幌市豊平区中の島所在の豊中公園西側水飲み場付近において覚せい剤を嚥下して使用した旨自白していながら、原審公判段階に至って、右自白を翻して覚せい剤使用の事実を否認するとともに、尿中に存在が確認された覚せい剤につき、「九月三〇日午前一一時三〇分ころ、肩書住居の九条橋ハイホームの前で、他人から借りていた車の中で、車内に置いてあったかばんの中の小銭入れにあった白い粉を、覚せい剤かなとも思ったが、そうではないだろうと思い、一粒かじってみたことはある。」旨弁解し、さらに原審第二回、第四回、第六回各公判期日においても、「捜査段階で行った自白は虚言であり、思い当たるのは、公判手続冒頭で述べたとおり、借りた車の中にあった白い粒を増量剤であるハイポだと思ってかじったことである」旨供述している。このような被告人の供述の変転には合理的理由を見出すことができず、被告人の覚せい剤取締法違反の前科歴などから窺われる覚せい剤との親和性などにも徴すると、被告人の弁解が措信し難いことは原判決が正当に指摘するとおりであり、原判決が原判示のとおり覚せい剤使用の事実を認定したことに、事実の誤認は認められない。論旨は理由がない。

第三量刑不当の主張について

論旨は、要するに、被告人を懲役二年六月に処した原判決の量刑は重すぎて不当である、というのである。

しかしながら、本件は覚せい剤使用一件の事案であるが、被告人の前科歴(昭和三〇年以来八回懲役刑に処せられ、そのうち昭和五〇年以降の四回は覚せい剤取締法違反罪によるものであり、ことに本件は、そのうちの二個の同種前科と各再犯の関係にある。)にもかんがみると、被告人の覚せい剤との結び付きは相当に強固なものがあることが窺われるのであって、その刑責は重いというべきであり、したがって、被告人の年齢、職業、反省の情等、酌むべき事情を考慮しても、原判決の量刑が重すぎて不当であるとは認められない。論旨は容れることができない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を、当審における訴訟費用を負担させないことにつき刑事訴訟法一八一条一項但書を各適用して、主文のとおり判決する。

検察官矢野光邦公判出席

(裁判長裁判官 岡本健 裁判官 髙木俊夫 田中宏)

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